牛のエセ日記

愛の奪い合い、愛の与え合い

人の理不尽な行動の多くは「愛を乞うため」に費やされます。

異性を求める時、その多くは相手から愛されたいとの思いから人は物を言い、行動するものです。「私はあなたを愛してます」という言葉の裏には「私が与える愛を、その同等かまたはそれ以上で返してね」という気持ちが込められています。そしてお互いがその繰り返しをし、気持ちを確かめ合うというパターンが多いでしょう。

「無償の愛」という言葉があります。これは「見返りを求めない愛」ということです。「そんなもんあるかいな」と思うなかれ。それは親が子供に見せる行動によくあることです。あなただって体験したことはあるし、もしお子さんをお持ちの方なら理屈ぬきで感覚としてお分かり頂けることでしょう。

親子の関係で出来ることなので、これを恋する人のために出来ればこれ以上のないパートナーシップを築けることなのでしょうが、僕も含めてこれがなかなか難しいことなのです。

愛の求め合いは、感情の奪い合いとなり争いになります。

愛の与え合いは、平和な穏やかな幸せとなります。

人間はこのどちらも知り、そのどちらの行動もとっている生き物です。

たとえ出来なくても「知る」ということは大切です。

今は出来なくても「知り」そして、いつかはそうなりたいと努めることが魂の研鑽であり、生きていく目的だと僕は思っています。

多くは出来なくても、本心から出来なくても、たとえ真似事であったとしてもすることが大切だと思います。