追悼荒木仁さん、そして「死」について

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先月の8月30日が、盟友荒木仁さんの四十九日だった為、荒木さんと特に親交があった友人達が集まり「荒木さんのお別れ会」をした。

亡き荒木さんは、元来友人を大切にする人であり、またその交友を大事にして数々のみんなが集うイベントやパーティーも主催してくれた。そしてそんなみんなの笑顔を見るのが大好きな人だった為、このお別れ会もあまり湿っぽくならずに愉快に荒木さんを見送ろうということで、終始穏やかにみんなで団欒し、荒木さんにお別れを告げました。

会の途中、一人一人が荒木さんの思い出を語るスピーチをしました。中には荒木さんの遺影を抱いて、熱く語る人もいました。

僕がスピーチで話したことは、とにかく荒木さんという人とは13年間一緒に色々とやってきましたが、その中で一度たりとも人の悪口や批判をしたことがなかった人ということです。

誰でも人間なのですから、時には相手を悪くも言い、愚痴も言うところですが、荒木さんは僕が知る限りそんな言動は一度もすることがなかった。そして、荒木さんから直接聞くことはなかったけど、多くの人から荒木さんには個人的に色々とお世話になったという話を多く聞く。

これって、人としてやはり凄いことだと思うわけですよ。

誰でも頭ではわかっていることだけど、それを自然に実行出来た人なんて僕は知らない。もちろん僕もそんなことは出来ていないので、改めてそういうことを生きながら教えてくれた稀に見る人だったと今では思います。

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荒木さんは僕にとってかけがえのない人だったけど、亡くなった今は悲しみはありません。寂しさはもの凄くあるけど、悲しみはありません。

それは僕は神戸の震災をはじめ、父親や友人の「死」という別れを幾度も経験しているので、その都度自分でとことん「死」という終わりを考えたからであります。

多くの人は「死」というものは避けられない、いつか必ず起こり得る現象だということはわかっていても、どこかで考えずにいたいという思いがあり、誰かの死(自分も)を語れば大抵が「縁起でもない」と嫌な顔をする。

しかし「死」はいつか誰の元にも訪れる。

僕はいつか必ず訪れる「死」というものを常に日常で考え、それに対処することを考え、それに対して用意するべきだと考えています。

「もしオレが明日死んだら」

という仮定することで、色々と「今」しておかないといけない事柄が浮上してきます。

僕は人のサイト(ホームページやブログ」を制作するのが仕事だけど、必ず受け渡しする時にはそのサイトの全情報を書いた資料を渡し「もしオレが死んでもコレを専門家に見せれば、キミのサイトはなんら困ることなく運営出来るから」と言って渡します。

受け取った相手は「またまた、死ぬなんて」と、冗談を言われたと受け取りますが、僕は本気で言っています。だって、実際起こり得ることなのですから。

実際、荒木さんの死後、各方面から僕に対して荒木さんのご家族とコンタクトを取りたいという趣旨の連絡を何件も貰いました。荒木さんの突然の死で、荒木さんが生前していた契約事の契約関係の会社の方が契約破棄をする手続き上探しているのでしょう。

突然の死というものは、こういう問題も引き起こすということです。

「死」という事象は、特別なものではありません。はじまりがあれば必ず終わりがある、というのが自然の摂理であり人間もその自然の法則に当て嵌まります。永遠の命を授かる、なんていうのはまだ僕たちが生きている間は無理でしょう。

恋愛も然り。結婚する時は永遠の愛を誓い合い一緒になるわけですが、人は必ず変化しますので当然そこには、もう寄り添えないという事も起こり得るわけです。そうすると離婚、つまり別れとなるわけですが、それも考えれば自然の理なわけです。

「別れ」のない「出会い」なんてのは、この世にはありません。

愛し合っていても必ず「死別」は訪れる。

人生に必ず訪れる、最終のゴールである「死」。

そのゴールを明確にすることで、そこまでの道筋が見えて、「今」しなければならないことも明確になる。それと同時に、いかに持ち時間が少ないことも実感としてわかる。いや、持ち時間なんていつ死ぬかもしれないとなると、あって無いようなものだ。

そこまでわかると、やり残している事がいかに多いかもわかるよ。

僕は幸せな「死」というものは、生命が途絶える寸前に「あ~、思うことはすべてやった!」と清々しい気持ちで思い出を振り返り、ニヤリと笑うことだと思っている。

お金や資産なんて、死ぬときには持ってあの世には行けない。

持って行けるものは、自分で作った思い出だけなんだよ。

その瞬間を得るために、今を精一杯生きる。

それが僕の生き方であり、僕の元で習っている人たちに一番伝えたい。

佐賀藩士・山本常朝は、「葉隠聞書」で「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」と云った。

僕の理解では、こういうことだと思う。

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