はっぽうやぶれ

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先月8月上旬、術後に母親が危篤になり深夜病院から呼び出された。

処置室に駆けつけてみれば私服姿の院長が人工呼吸を施している。自宅から駆けつけて来てくれたのだ。モニターに映る心電計の波形はほぼフラット状態となっていた。数名の看護師が院長の指示で、部屋に出たり入ったりと掛け巡る。電気ショックで母親は眼を剥き、上半身を無意識に起き上がらそうとする。

あまりに眼を覆う様子に、僕は控室に出た。九分九厘これは死ぬだろうと思い、その後の段取りを巡ぐらせた。1時間後くらいに看護師が僕が呼びに来て、病室に入るように言われた。

「あっちへ行きかけたのを、呼び帰らせました」

緊急入院からお世話になっている屈強な身体をした院長にそう言われた。

母親は三途の川を渡らずに帰ってきた。

昭和10年生まれの母親は、現在住んでいる長田の西代という処で生まれた。5人兄弟の長女として生まれ、聞けばかなり若いころから八方破れの生き方をしてきたようだ。

戦時中、神戸にも空襲が行われた。当然爆撃から身を守るため、恐怖に耐えながら人は防空壕に入るところ、母親は暗くて陰気臭いといいタイヤゴムの無い自転車で街をフルスピードで駆け巡っていたという。

この話の時点で、アホかと思う。

実家はお寺と長田特有のゴム工場を経営していたという。当時としてはお嬢さんということだ。現に結婚するまで米は家の蔵にあり、買うものではないと思っていたらしい。

工場長として来ていた父親と駆け落ちして一緒になった。家を飛び出す形で一緒になったので、その後40年実家には帰らなかった。そして40年後に住職となっていた実兄が母親を探して家にきた。

40年帰らなかったのでその間の自分の母親と父親の死に目にも合っていないし、どういう最後だったのかも兄に聞くまで知らなかった。そのことを聞くと、私は自分の我がままで家を飛び出したのだから仕方ない。という一言で片づける。

とにかく万事そんな調子で生きて、僕と弟を育ててくれた。

自分が勝手気ままな生き方をしてきたことで、僕たち子どもも当たり前のように自由に育ててくれた。(それは今でも有難いと思う)学校が禁止していた友達同士の旅行も、小学生の頃から許してくれて北陸やら九州へ友達同士でよくキャンプに行ったりした。当然学校からは後で大変怒られたけどね。

中学、高校に入ってどんなに校則を破ってヤンチャして毎月ほど学校に呼び出しを受けても一言も怒られた記憶もない。むしろ校長訓示を母親同伴で聞いた帰りも、怒りもせず「お腹空いたやろ、うどんでも食べて帰ろ」というくらい。

そんな母親に何度か聞いたのは「子供は20年間の神様からの預かりもの。あとはあんたらの好きなように生きたらええ」と。

だから僕は両親になんら規制を受けたことがない。

母親はわがまま気ままに生きてきたけど、それは他人にも「自由」を許してきたということだ。

自由を許すからとても優しいかと言えば、全く真逆で口は大層悪い。人の悪いと思うことはストレートに言う。よくまあそこまで言うわ、と思うくらいなんでもズケズケという。冷や汗をかくときも多し。

もう入院生活も1年以上になるが(2回骨折したので入退院に繰り返し)、病院でも好き放題をしている。今入院している病院はお年寄りが多いので、食事時間は食堂に集まりみんなでコミュニケーションをとりながら食事をしましょう、というのがこの病院のやり方です。とてもよい事だと思う。だけど母親だけはみんなが集まる食堂に行かず、一人病室でTVなど見ながら「まずいなぁ」と悪態をつきながら病院食をとっている。

「なぜみんなと同じように食堂で食べないのだ」と聞いてみると、「あんな年寄りだらけの陰気な処に行けるかいな、滅入ってまうわ」とまた毒を吐く。(自分も年寄りのくせに)

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好き嫌いが激しいので、頼りない看護師などには「もうあんた来なくていい」シッシとまるで犬を追い払うように追い返す。世話をして貰っているのに、なんとも失礼なと思って冷や冷やする。けど、実際母親の言うように頼りないことは頼りない。

僕が思うに。。。。

この年になってもまだ人への感謝の気持ちが少ないこの人は、あの世に行きかけてもあの世の門前で追い返されたのだと思う。だから三途の川の手前で戻ってきた。

そしてさらに、もう一度手術をしなければならないようになっている。

神様が、お前もっと修行せえッ、ときっと言われているのだ。(本人気づいていないけど)

周囲に迷惑もいっぱいかけて生きてきて、そして今も痛い目をいっぱいしているけど、僕が思うにこの人はきっと死ぬときは満足して死んでいくのだと思う。なにせ、すべて自分の思うようにしてきたのだから。

僕が両親から一番与えられてよかったと思うことは、この「自由に生きる」ということ。そして僕も20代から自分の好きなことだけをして生きてきている。嫌なことを我慢して働く、という考えは元からなかった。そして今も無い。

そういう生き方をしてきたら、そりゃ摩擦も起こるし、時には人も離れて行くときも多くある。しかし差し引きして考えると、自分の思うように生きる方がストレスもなく気分がいい。よく若いころに戻れるとしたら何歳に戻りたいか、みたいなイフの質問もあるけど、僕はいつの頃にも戻りたくない。今が一番楽しい。それはきっと自分の好きなように生きてきて、すべてにおいて後悔がないからだと思う。

好き放題している母親は、日常ではほんと「やっかいやなぁ」と思うが、人間的には実におもしろい。超天然系なこの生き物は、見ていても飽きない。好きか嫌いかで言えば、世間体ばかり気にする裏表がある人間よりも、結構好きかも。

僕は50を過ぎて、人を教えるということを生業に今ビジネスで起業することを教えている。表面的にはインターネットの使い方、マーケティング、集客とやっているが、本当に僕が伝えたいということは「自由に生きる」という術だ。

ビジネスを興し、自分で経済を作っていくということは、自分の人生を自分で設計して生きるとということ。誰の指図も受けずに、誰の傘下に入っていつリストラや減給に合うかも知れないという不安の無い、自分で作るライフセキュリティだ。

そんな事を考え、実際出来る人間にしてくれた母親と、もう残り少ないとは思うが、残された人生を一緒に楽しんで行こうと思う(^^)

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