現代結婚狂想曲

(お話しは前回よりつづく)

僕の部屋で麻衣子と彼女が鉢合わせをしてから丁度1週間目に僕は麻衣子から呼び出された。いつもなら早く仕事が終わればと思うのだけど、その日は終業時間が近づくにつれて憂鬱になってきた。

クレッセントにはすでに麻衣子が待っており、いつものレモンティを前にしていた。僕は差し向かえに座った。麻衣子はいつもと同じ調子で特に責める訳でもなくこう言った。

「これからのお付き合いは私がすることになりました。彼女の方には私が十分話したので、トラブル事は無いと思います」

「はい」

としか僕は言いようが無かった。死刑宣告をされても止むを得ないと思っていたのが情状酌量の余地を貰えた気分だった。ただただ責められるのを免れ解放された気持ちで一杯だった。

それ以上麻衣子は僕を責めることはしなかった。

僕もあえてなぜ責めないのか尋ねなかった。尋ねたい気持ちはあったがやぶ蛇になるのを避けたからだ。その後5年間麻衣子と暮らすことになるのだけど、僕はバカなのでこの一件の後も、今回と似たような事件を数回起こした。でもその後も麻衣子はどんな状況になろうが僕を責めたり追い詰めたりすることはなかった。

それも麻衣子と一緒に暮らして僕が学んだことだった。

なぜ麻衣子が僕を責めなかったのか一緒に居る間は分からなかったけど、別れて10年したくらいにその理由は自分なりに理解出来た。

その後僕は麻衣子と一緒に暮らすようになった。

それまではお互いのマンションを行ったり来たりしていたのが、それでは効率が悪いということで広い部屋の彼女のマンションに僕が移り住んだ。移り住むまで知らなかったけど、麻衣子のマンションはレディースマンションだった。そこで暮らした1年半は結構キツイ場面もあったけど(火災警報器がなっても出るな、と言われた時は死ぬかと思った)、それはそれで楽しかった。

彼女は一人暮らしをはじめたばかりだったのでまだ部屋にはそう家財道具はなった。僕も男所帯だったので何もなかった。だから二人の生活はほとんど何も無い状態からはじまった。

僕はそれまで女性と一緒に暮らしたことはなかったので、麻衣子と一緒に暮らし始めて生まれも育ちも違う男と女が同じ屋根の下で暮らすとはどういうものなのかという多くを学んだ。

それは男と女が、彼女彼氏だった頃とは違い、お互いが最悪の状態を見せ合うということにも我慢が出来るのか、というのがまずは一緒に暮らすことだと知った。そして暮らすということはお互いが建設的な考えでなければ続けられないということも学んだ。

建設的ということは、例えば分かり易い例だと二人の味がそうだった。

僕は濃い口で洋食が好きだった。麻衣子の家庭は和食が主で味は薄味だった。だから最初彼女が作る料理は水臭く僕の口にはまったくあわなかった。時にはせっかく彼女が作った料理を後にして、駅前の立ち食いそば屋に行ったこともある。相手を思わない若気の至りですね、今思えば。

でも二人が建設的であれば、はじめは全く合わないと思っていた料理も彼女も次第に僕の好みに合わせてくれるようになり、そして僕も彼女が作る和食も食べるようになる。そうすると不思議なことに、そこには二人だけの味が出来上がる。最後は外食よりも彼女が作る手料理が一番美味いと感じるようにさえなった。

最初二人の部屋はベッドとガラステーブル、それに冷蔵庫くらいしかないまるで安ラブホテルのような部屋だった。でも年月が経ち、二人の給料で少しずつ家具やら電化製品を増やしていった。家に物が増えるという単純な喜びを二人で味わった。そしていつしか3LDKの広い部屋に引っ越した。

生まれも育ちも違う男女は、好きな相手と最初向かい合いお互い同士を知ろうとする。そして違いを知りガッカリしたり、また新たな自分にはない良い所を見つけ合う。そしてやがては二人が暮らしやすいように様々な努力をして、最後は二人のだけの「味」を創る。

だから、僕は男女で一緒に暮らすということはとても「建設的」であり、創造力が必要なんだということを学んだ。そして最初はお互いを見詰め合っていた二人は、やがて社会を生き抜くための同士となり視線は同じ方向を向き歩んでいく。

芸能人の離婚記者会見で、別れの理由を聞かれた時「価値観が違った」と言うタレントが多いが、そんなことは当たり前じゃん。違う場所で生まれて、全く違う環境で生きてきたそれも男女なので価値観や習慣など違って当たり前なのだ。それを創造的に「二人だけの価値観」を創っていくのが一緒に暮らすということなのだ。

それを別れの理由にするには、あまりにもバカ過ぎる。

バカと言えば、当風の結婚式や披露宴や新婚をスタートさせる方法も僕は違うと思っている。僕も結婚式には招かれる事も多いが、毎回そう心のうちでは思っている。

日本は少子化となりある程度余裕が出来た頃から結婚式、披露宴、新婚旅行というものにお金をかけるようになった。多くの友人、知人を無理に寄せ集め、この先どうなるかも知れないのにわざわざお披露目する。(結婚式に出席した友人にも、離婚した二人がどれほど多いか)

大事な一人娘ということもあり、親の気持ちで住まいから家具からとすべてを用意してやり新しい二人の生活をスタートさせてやる。でも若いんだから最初何もなかっても別にいいと思うし、それが当たり前でしょ。それを二人の力で、僕たちがやったように少しずつ身の周りモノを増やせば、そこに二人だけの満足感と共同の感動を味わえるのに。

おそらく、そういう二人だけの共同作業をする風習を作れば僕は離婚率は今よりも減ると思う。結婚式や披露宴、派手な新婚旅行はブライダル産業の仕掛けに他ならない。

結婚する時も周囲への二人が結婚したという事実を伝えるだけの案内状の送付だけでいい。先がどうなるかわからないんだから。結婚というのは人生における、最大の博打だとも僕は思っている。そして5年、10年という節目を迎えた時に「私たちは二人でこれだけがんばってきました」というパーティーを開く方がよほど値打ちがあり、それなら祝福する理由も解せる。

なぜ結婚式の時にわざわざ神様まで呼び出し、今後の誓いをさせるかと言うと、それだけ成功する確率が低いからだ。そうでないと、あんな大層な誓いを神父と聴衆の前でするかいな。それほど違う人間同士が一緒にやりくりする、というのは難しいのだ。

だいたい今の結婚スタイルというものは明治時代にキリスト教思想の一夫一婦制により形作られた。そんな昔のそれも外国からの制度がすべて今の時代に当て嵌まるものではない。結婚というシステムは現代人には徐々に無理が生じてきていると僕は思っている。そもそも制度とかシステムとかは、少数の誰かが「得」をするために制定されたものが多いんだよ。それを大衆には、もっともな理由付けをして流布するという構図があることを知っておいて欲しい。

現行の結婚制度の話になると尽きないので、僕のストーリに戻しますね(^^)

麻衣子はずっと神戸の老舗の会社でOLをしていたのだけど、ある時仕事を替えると言い出した。その理由を聞くと。

「アキちゃん(僕の名前のマサアキで彼女はそう呼んでいた)は物書きになりたいんだったら、今の仕事は辞めてこれからはそれだけを勉強して下さい」

と言った。

「生活費はどうするのだ」

と聞けば、

「アキちゃん一人くらいなら、私が養います」

と言って、麻衣子は長年勤めていた会社を辞めて給料が遥かに高い三宮の夜の仕事へと移った。

つづく

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