「恋愛」とは(1)

「恋愛とはなにか」これはすでに30年前くらい、僕が習作時代に通っていた養成所で出題された命題。その養成所とは脚本家養成所で、文章上達のために毎回テーマが出題される。何枚もあるカードから1枚を引き抜き、そのカードに書かれている熟語が次回までの課題となる。

「人間とは」「友情とは」「平和とは」「裏切りとは」「懐疑とは」など、様々な言葉が与えられて、その意味合いを原稿用紙4枚程度にまとめてくるのだ。

ただし、この課題には条件がある。

辞書やウィキペディアの内容を参照してはいけない。従来の概念も当てはめてはいけない。ぢゃあどうしろって言うんだい、みたいな課題の連続だった。

その時は七転八倒で脳みそが解けそうになったけど、これはどんなテーマでも切り口を変えてどんな結論にもロジカルに導くことが出来る能力を身につける訓練だったのだと後から理解した。

だからプロの物書きというものはひとつのテーマを与えられても、それを悪でも善でもどちらでも描くことが出来る。それがプロフェッショナルというものだということを、当時実践によって教えられていたのだ。

確かにこの訓練は文章を上達させるという点では大いに役に立った。

インターネットで物やサービスを販売する上でも、テキスト(文章)が最後の分かれ目となる重要な要素だ。それを知る人がコピーライティング技術を何百万という教材費をかけてでも習おうとするのだ。

この文章能力をアップさせる課題と出されて、どんな内容の文章を当時書いたのかなんてすでに忘れてしまった。それ以降も「恋来」をテーマとするドラマを商業ドラマを書く中でも、色んな側面や切り口で書いてきた。コラム的なものも何百と書いてきた。

けど、自分で納得する「恋愛とは」はついに書けなかった。

書けないということは、その事象についての正確な概念が僕の中には無いのだ。無いことにはそれを表現することは出来ない。ということ。

僕は20代の頃から瞑想をしていた。迷走ぢゃあなく、瞑想。まあ迷走も時々やってるけど、ここで語るのは瞑想。

我流の瞑想だけど、40代半ばで出会った「珪素」という元素が脳の松果体を活性させるということで自分の瞑想にも取り入れた。

するとある日、その珪素を使った瞑想をしていると、自分が解らない事を瞑想中に投げ掛けると、その「答え」がフィードバックして返ってくることがわかった。

その珪素を使った瞑想法を、それから僕は自分のビジネスでも大いに活用した。わからない事はなんでも瞑想中に聞けば、答えが返ってくる。

その答えは僕の思考、概念には全く無かったものなのでインスピレーションとして出現した時に自分の考えではないということが当然わかるのだ。降って沸いてきたというのはこのことだ。

長年自分の思考では答えが出なかった様々な事を聞いた。

そして数十年も自分では答えが出せなかった「恋愛とは」ということも聞いてみた。

答えは当然それも返ってきた。

なんと奥が深くすべてのフラグメント(断片)が微妙に絡みつき、この3次元って出来ているのだろうか、といつものごとく感心した。

瞑想での会話を進める中で、恋愛に付属する「嫉妬」「執着」「霊的昇華」など色んなことも教えてくれた、珪素が。

つまり「恋愛」という現象はこういうことだ、、、

つづく

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