華のある人と無い人の違いは何処にあるか?

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人を見てよく「あの人は華がある」とか「実力はあるけど華がない」という言い方をよくする。

昔で言えば同等の実力を持ち合わせた巨人の長島茂雄と、三冠王もとったりした野村克也がよく比較されるところ。

野村はとにかく実績からすればずば抜けた実力がある。

当時の日本のプロ野球を取り巻く世情は人気面・知名度いずれも巨人を中心としたセ・リーグ偏重傾向が現在より圧倒的に高かった。

そのため、同時期にセ・リーグで活躍していた巨人の長嶋茂雄や王貞治に比べて世間からの注目は少なく、今に伝えられる野村の打者としての評価も目立たないのはそのためだと思う。

野村が史上2人目の600号本塁打を達成したときの観客はわずか7,000人ほどであった。

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野村はこの試合後のインタビューで「自分をこれまで支えてきたのは、王や長嶋がいてくれたからだと思う。彼らは常に、人の目の前で華々しい野球をやり、こっちは人の目のふれない場所で寂しくやってきた。悔しい思いもしたが、花の中にだってヒマワリもあれば、人目につかない所でひっそりと咲く月見草もある」と答えたというのは、今でも語り継がれている。

人に華がある、華がないといのは実力以上に色んな処に影響し、実力以上の評価を得る場合も多いものなんだなぁ、と思う。

最近の野球選手で言えば誰もが知っているのは、もちろんイチロー。

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当然世界的に有名なので、華があると思われるけど、僕から見れば華はない。

華がないというよりは、彼の意思で華になり得る部分を押し殺しているように見える。それは彼が本来持つストイックさから来るもので、あくまでもイチローは有名ということよりも、実績という見える形だけで勝負を常にしようという姿勢があるからだ。

逆にサッカーで超有名な本田圭佑。

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彼の場合は計算された自己演出で持っている華よりも、さらに大きく華を演じている部分がある。それは彼を否定するものではなく、自己努力により華は演出して醸し出せるということ。

女性アスリートで分かりやすい処では、フィギアスケートの真央ちゃんは誰がどう見ても華満開。真央ちゃんと永遠のライバルだった韓国のキム・ヨナだけど、二人を見比べるとやはり真央ちゃんの方が華がある。これは日本人同士という贔屓目を度外視してもそう見える。

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当然華を持つ人にはファンが多く、そういう人はやはり人気も桁違いにある。

身近で言えばfacebookでも閲覧していると、華のある人のページには「いいね」やら「コメント」がやはり多い。写真でしかわからない部分もあるけど、画像を通しても華を持っているなぁ、ということがわかる人もいる。

ではこの「華」という表現は一体何なのか、ということを考える。

その人が持つ「雰囲気」「オーラ」「人間味」「本質」など、表現は様々にあると思う。正解などはない。

「華」という字の語源を見ると、仏教で蓮の花を代表的に「華」と言っているみたいだ。お釈迦さんが悟りを開いたというイメージには、蓮の台座があったり、曼荼羅などの中心は蓮の蓮台が鎮座して諸仏が座している。

崇高なものを華やかにすることが大事に扱うという中国古来の考え方だったのだろう。

そしてもうひとつ「華」の由来には、木々の上に咲く花は「華」と言い、地上低くに咲く花を「花」と言ったというものもある。

この由来は、なんだかイメージし易いので分かるような気もする。

この華がある華がない、と感じる部分は人間ではイケメンだから美女だから持ち得るのか、と言えばそれだけではない。

いくら男前であったり美人であっても華の無い人はいる。逆に、ブルドッグのような人相の男や、豆腐を踏んだような顔の女性でも華のある人はいる。(豆腐を踏んだというのは少しメチャクチャだな(^^)

言いたいのは、けっしてビジュアル的なものがすべてではないということ。

では何に左右されるかということは、僕の独断と偏見で言えば、その人が持つ意思の強さとその意思が向かう方向性にあると思っている。

意思の強さというのは分かると思うけど、意思の方向性とは何かといえば、意思が向かっている方向が外的か内的かの違い。

方向が外的というのは自分を軸として、意思の集中する方向が外的にあるターゲットに向かって強烈に向かっている、というイメージ。

意思の方向性が外的方向の逆とは、意思が常に自分の内部に向かっているということ。

意思が常に外的にあるということは意識は常にポジティブであり前向きとなる。逆に意思が自分の内面に集中すると、どちらかというとネガティブな意識となり「暗い」というイメージとなる。

前述した長島茂雄と野村克也と見比べてみると、やはり「ネアカ」と「ネクラ」、「ポジティブ」と「ネガティブ」、「ひまわり」と「月見草」という明暗的な部分に分かれる。

意識の集中する方向というのは、外的に向かっている方が精神的には健康であり健全的なのだ。

人間以外の哺乳類はすべて集中する先を外的に向けて新化・発展してきた。人間界でなく、もっと抽象的な動物界、自然界とを比較することで正しい答えが見えてくる。

だから僕は「自分探し」とか「オンリーワン」とか「在りのままで」という意識を内面に向ける考えは、人間を弱くしてしまう思想だと思って好感を持っていない。この考え方を重きに置くと、すべて意識の方向性は内面に向いてしまい、弱い人間を造り出してしまう。

やはり「華」のある人を見ていると、みんな強い意思を持ち、ガンガンと目的に向かって全力疾走している人ばかりだ。それはその人がいるフィールドだけでなく、その人が歩む人生からも伝わってくる。

それを考えると「華のある人」には、誰だって努力すればなれると思っている。

意思と、その方向性に気をつけて力強く人生を歩めば。

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